2014年8月4日 星期一

被爆電車で被爆体験を聞く 広島

被爆電車で被爆体験を聞く 広島

6日の原爆の日を前に広島市では、被爆したあとも走り続けている路面電車に親子連れが乗って被爆者の体験を聞きました。

昭和20年に原爆が投下された際、広島市内を走っていた路面電車のほとんどは損傷を受けて使えなくなりましたが、一部は修理して今も2両が「被爆電車」として運転を続けています。
親子連れなどおよそ50人が4日にこの「被爆電車」に乗って、2人の被爆者から体験を聞きました。
このうち12歳の時に路面電車に乗っていて、爆心地から1.9キロの地点で被爆したパク・ナムジュさん(81)は「ピカッと光ったと思うと、火の塊が路面電車を覆い尽くし電車から飛び降りると、辺りは血だらけの人ばかりで「熱い、助けてくれ」と悲鳴をあげていました。その時に感じた恐怖はになりません」と声を震わせながら語りました。
そのうえで「今の平和は大勢の人たちの犠牲の上に築かれたものです。戦争は2度と起こしてはいけないし、皆さんにこの平和を守り続けてほしい」と訴えました。
参加した中学3年生の女子生徒は「広島市に住んでいても原爆のことを知らなかったんだと思いました。若い世代が原爆の悲惨さを語り継いでいくことが大事だと感じました」と話していました。


「今の平和は大勢の人たちの犠牲の上に築かれたものです。戦争は2度と起こしてはいけないし、皆さんにこの平和を守り続けてほしい」
「現在的和平建立在許多人的犧牲之上。不能再一次展開戰爭,希望大家可以繼續守護和平。」
パク・ナムジュ(廣島原爆倖存者)

今天在NHK午間新聞看到的一篇個人很感興趣的報導。
廣島的「被爆電車」是當年原子彈在廣島市爆炸時運作中的路面電車,其中損毀的兩輛經過修復後成為傳遞被爆者(指廣島長崎原爆受害者)傳遞經驗的場所。

個人認為是很有意義的教育。今天的世界,還是有很多人篤信原子彈是守護國家安全的王牌,是守護自身安全的終極保障。
有些人認為核彈和其他炸藥一樣就只是一種武器,在使用上不需要有什麼特別的道德顧慮,對於使用核武也不會保持什麼需要謹慎為之的態度;有些人相信絕對保障毀滅(MAD)讓人類度過了冷戰,也可以繼續保障人類文明繼續下去。

我個人希望能有更多人聽到戰爭體驗者.被爆者的經驗,知道戰爭的殘酷和核武的不道德,而不是嘴上掛著一句「以國家大局角度思考」(當然會說這些話然後說「戰爭是正義」、「為了國家安全發動的戰爭是正當的」的人恐怕也不會相信「國家是工具人民是目的」吧)然後其實內心的某部分其實對於戰爭感到好奇,甚至渴望戰爭這一「合法的殺戮」。而那些口中說者「我很愛好和平,只是人犯我時我才犯人」的人,也請想想自己是否真的是非常希望和平,還是其實內心某處還是期待著戰爭。那些說「為了國家人民應該挺身而出」、「國防是義務」的人,也請想想「為什麼要有國家」,「國家」和「個人」到底何者為重,也請想想傳唱了許久的「沒有國哪裡會有家」中隱藏的謬誤與為政者的算計。

最後就用這篇報導的一位國中三年級學生搭乘被爆電車後的心得做結吧。

「広島市に住んでいても原爆のことを知らなかったんだと思いました。若い世代が原爆の悲惨さを語り継いでいくことが大事だと感じました」
「我感覺到年輕世代繼續述說核爆的悲慘是一件重要的事。」

沒有留言: